捨て看板の歴史
捨て看板の歴史を語るにはまず看板から掘り下げなければなりません。
看板の歴史古く、8世紀の法律によって、都で毎年開く市は商品を表示すること、が義務づけられていました。しかし当時は文字を使った看板は一切なく、筆や樽の形などの絵や記号のみで表示していたようです。
それは一般的な庶民はほとんど、文字の読み書きができなかったのと同時に、見た目の美しさよりも実用性を重視していたからなのです。そして最も単純でわかりやすい看板が、最も優美だったとされる風潮があったそうなのです。
そんな看板は江戸時代初期のころになると寺子屋の普及がし始めました。庶民の間でも文字の読み書きができるようになり、「飯屋」や「団子」「酒」など文字を入れた看板が続々と誕生しました。
しかしその頃の看板もやはり、飾り立てることなく、実用的に商品や店名などをシンプルに書いたものばかりでした。それは江戸幕府が、商人などの贅沢や華美を抑えるために奢侈禁令を度々発布していたからともいえます。 その頃の看板は、そ篆刻・版木・看板師が一緒で製作されていましたが、江戸末期ごろからそれぞれが分業化し、専門化していきました。
長く続いたシンプルで実用的な看板の歴史は、江戸幕府が倒れ、明治時代の新しい幕開けと共に海外の流行や文化が国内にも 広まり始め、看板にも影響を与え始めました。飾り立てるような派手な看板が増え、文字の書体や絵なども変わってきたのです。
明治17年(1884)になると商標の登録が認められるようになり、看板にも商標登録の文字が入るようになり、また古い看板は 新しい法律に合わせて変えさせられました。技術の進歩と高度経済成長の流れから、昭和の中期頃になると使い捨ての捨て看板が流行するようになります。
最初は飲食業などだった捨て看板を使う業種は次第に、スーパーやコンビに、不動産会社、金融業、宝石店、衣料品店、美容院、ホテル業など、さまざまな業種で利用されるようになり、一大ブームになり、「捨て看板業を2年やれば、ビルが建つ」と言われたほどでした。
そんな好景気も、バブル崩壊と共に失速するのです。そして現在、捨て看板は景観を損ねる、通行の邪魔、資源の無駄などの問題もあり影を潜めてきましたが、エコなタイプも登場し、その広告効果からも新たに見直され始めてきているのです。
弊社では、どんなデザイン、ご注文にも的確に対応し、次世代の上質なステカンを製作・販売しております。